お盆・お彼岸の知識
お盆
お盆は各地方、宗派によって様々なしきたりや習慣がある。日程的には東京都内は7月13日から4日間行うことが多く(陰暦を基にしている)、全国的にみれば8月13日から4日間行われることが多い。
陰暦の日取りをそのまま受け継ぐ七日盆の場合、お盆は七夕(たなばた)のひが盆の始まりであるとされ、7月7日の七夕の日に墓掃除や墓場に行くと道の草を取ったり、仏壇の道具類を磨き清めることも行う。七月盆の場合も八月盆の場合もお盆を始めるのはそれぞれの月の13日でありこの日の夕方に墓参りをして、先祖の霊を迎えにゆく。
墓参りには一族が揃ってでかける。着いたら一族の代表が花や供物を墓前に供え、それから血縁の濃い順に合掌礼拝し、線香や水を手向ける。お墓が菩提寺の寺内にある場合は、仏前の火をいただき、それを提灯の中に入れその灯で先祖の霊を家まで導く。
以上のことを迎え火(むかえび)というが、現在では門口の中で苧殻(麻の茎)を焚いて迎え火とするところが多い。この場合の火種も寺院や墓場の火であるところが多い。
迎え火の変型として有名なのが盆提灯である。門前に吊るされた提灯は、祖霊がやってくるための目印であり、またその家の中に祖霊が存在しているしるしであるとされ鎌倉時代からこの盆提灯の風習は行われていた。
家のなかには精霊棚を設けて祖霊を迎える。精霊棚とは真菰筵(まこもむしろ)の上に先祖の位牌を安置し、水や線香、供物を供えたもので地方によってはナスやキュウリに苧殻(おがら)を突き立てて、牛や馬にみたてたものを供えるところもあり、この牛や馬に乗って先祖の霊が帰ってくるとされる。精霊棚は仏壇がある場合、特別に設ける必要はない。
お盆の期間中には菩提寺の住職がお経をあげるために檀家を回るが、このことを、棚経(たなぎょう)と呼ぶ。この時『お布施』と上書きした不祝儀袋か半紙で謝礼(お布施)を包む。遠方より来ていただいた場合は『お車料』、昼時と重なれば昼食を召しあがっていただくか、『お膳料』を包む。16日には送り火で祖霊をあの世に送る。この時、先祖の霊があの世へ無事に着くようにとの願いをこめて、門前で苧殻を焚く。京都の夜を美しく彩る大文字焼はこの送り火の名残りであるとされる。
精霊棚の供物は蓮の葉に包んだり、わらで編んだ入れ物に包んで海や川に流し、このことを精霊流しという。打ち上げ花火は元来、精霊送りの行事であったとされている。
前年のお盆以降に故人を出した家で迎える盆のことを新盆(にいぼん)と呼び、とくに厚く供養がなされる。以上は死んだ者に対する供養のことであるが、お盆では生きている者に対する供養も行い健在な両親に対して供養を行うことを生身魂(いきみたま)と呼ぶ。
お彼岸
彼岸会は『到彼岸』の意味とされる。すなわち現在、我々が住んでいるこの迷妄の世界は此岸(しがん)であり、仏菩薩の悟りの世界である彼岸に渡ることを目的とするのが彼岸会の仏教的な意味である。
『到彼岸』は原語のサンスクリット語(梵語)では、パーラミーターと言われる。そして此岸から彼岸へ、すなわち悟りの世界へ入るための六波羅密とは1、布施(財施〈財を施すこと〉、法施〈真理を教えること〉、無畏怖〈恐怖を取り除き安心を与えること〉の三種)2、持戒(戒律を守ること)3、忍辱(にんにく、苦しさに耐えること)4、精進(常に仏道を修するための努力をすること)5、禅定(心を安定させること)6、智慧(真理を見抜く力を身につけること)の以上六つの徳目のことである。
いずれにしても彼岸会は悟りの世界へと一歩踏み出すための法会であるわけだが、春分、秋分の日に行われる彼岸会は、仏教的行事となる以前は日本人の農耕生活に深く根づいた行事であったと思われる。
彼岸の七日間の間に『日の伴』とか『日迎え日送り』をする行事は近畿地方一帯にあった。これは、朝の日の出る東の方のお宮やお寺にお参りして日中は南の方のお宮やお寺に参り、農耕の安全と豊作を祈り、これを節目として祖先の霊を祀るのである。極めて原始的な太陽崇拝ともいえるが、 彼岸会が太陽と農耕と切り離せない関係にあることは確かである。
彼岸には太陽が真西に沈み、その方向に向かって念仏すればかならず極楽に住生ができるとされている。ところで、彼岸会は春分の日を中日として前後3日間、計7日間にわたって営まれる法要なのだが、仏教行事でありながらインドや中国には同じような行事が見当たらない。すなわち彼岸会は日本独特の仏教法会であるといえる。その始まりははっきりしたことが分らず聖徳太子が企画構想したものであるという説もある。
彼岸会の時には在家では仏壇を丁寧掃除し、また墓参りするのが習慣であり団子をつくって供えることは日本中広く行われている。そのうちおはぎはお彼岸の時どこの和菓子屋の店頭にも並ぶものであるが、春に作るものをボタ餅、秋につくるものをおはぎと呼ぶという説もある。