歴 史
禅宗とは広義に座禅を行うことによって、仏の悟りの境地を自己に表現しようとする教派のことで、通常、ここにあげた臨済宗と曹洞宗のほか、黄檗宗が加えられますが、正確に言うと”禅宗”という宗派は存在しません。禅では特に法脈の伝承が重んじられます。ブッダから師資相承して28代目の菩提達磨が中国に伝え、中国禅の初祖となり、この達磨以後6祖大師になる彗能と、その弟子の青原・南岳により禅の教えは広がりを見せます。わけても南岳より臨済宗が生まれることになります。
日本に禅宗が成立するのは鎌倉時代の栄西以後のことです。栄西は始め天台密教を学んでいましたが、文治3(1187)年、宋に渡った折に禅と出会い、日本に帰朝後、九州に建久2(1191)年に報恩寺、聖福寺を開きました。現在では14の本山を持ち、臨済宗十四派と言われますが、これらは法系の上では一筋に帰するものであります、対立的な意味はありません。
曹洞宗
中国曹洞禅は、臨済宗でも触れた彗能の弟子の南岳の法系にあたるものです。日本曹洞宗の場合、これを開いた道元を高祖、そして、その仏法を受け継ぎ広めた瑩山を太祖と呼び、この2人を合わせて両祖大師と呼んでいます。
道元は13歳で出家した後、まず栄西に師事し、臨済宗の禅法を学びました。23歳の時に入宋し如来浄禅師に出会い、28歳で日本に戻るまで禅師の下で研鑽を重ねます。帰朝して後は興聖寺をはじめとする禅の道場としての寺院を建立し、また座禅の仏法における位置付けを説き明かした「正法眼蔵」をはじめとする膨大な著作をまとめるなど、布教伝道に務めました。
しかし、道元は54歳でその生涯を終えてしまったことから、亡き後の僧団は一時期混乱の用相を示します。こうした対立や分裂を収拾させ、教えの上でも道元の事跡を整理すると共に更なる大成を図り、弘教においても在家にむけたより幅広い働きかけを実現させたのが、瑩山禅師です、こうしたことから、道元が一宗の祖であり、瑩山は教団の祖として、両祖が等しく敬われています。
臨済宗
教 え
臨済宗では、寺院建立の際における様々な縁に応じて、ブッダを始め、阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩などが本尊としてまつられています。しかし、本来は座禅の修行を行うことで、ブッダの悟りに直結するという考えから「本尊は一定しない」ということが臨済宗の大きな特徴となっています。また、経典についても古くから金剛般若経、般若心経、観音経などが多く日常に読誦されていますが、これらとて「このお経でなければならない」というものは無く、逆にこれが教義の特色ともなっています。この様に本尊も経典についても制約が無いということは、あらゆる事柄や現象は、すべて、如来の事実の知彗や慈悲の相として、拝んでゆかなくてはならない、という考えに基ずいているものです。
曹洞宗
無常を感じ、我執を離れて心身放下し、ただひたすらに座禅をすること(只管打座)がまず求められます。それはただひたすらに座禅することであり、他の修行である焼香、礼拝、読経などをする必要性は全く無いということです。心身を調和させて直ちに仏を受け入れること(直下承当)を説き、また仏祖正伝の道を開くために精神を統一して種々の思慮を絶ち、心身を安定させること。自受三昧禅定、即ち自己がそれを感受しながら、限りなく自己と世界を超脱することによって、かえって万象があらわになるとしています。
これを即心是仏といい、只管打座の禅が目的とするものでもあります。即心是仏が決して煩悩に塗られた常識的な心のことでは無いことは無論のこと、肉体とは離れた永遠不滅の霊魂を指しているわけでもありません。自己と大宇宙の物心一如、心身一体のあるがままのあり方を心是仏と言うのです。
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