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顕本法華宗別格山

鳳凰山・天妙国寺

東京都品川区南品川2-8-23

TEL.03-3471-7921

本 堂
山 門
天妙国寺の沿革

鳳凰山 天妙国寺は京都総本山妙満寺の末寺にあたり、顕本法華宗
(法華宗妙満寺派)に属する。
「妙国寺縁起」によると、弘安八年(1285)、日蓮大聖人門弟中老の
天目上人によって創建され、堂宇建立成就の日、鳳凰が舞い降りてきたため
鳳凰山と名づけ、妙法蓮華経の力をもって国家の安穏を祈る精舎との意味で
妙国寺(現 天妙国寺)と称したとある。
第二祖日叡上人の代、日什教学に帰し、檀信徒の帰依深く、各時代の地域の
有力者に保護され、寺領の寄進を受けて広い寺域を有した。
品川は江戸時代以前より交通の要衛として栄え、十五世紀の中頃には、
品川湊の豪商だった鈴木道胤が施主となり当寺に梵鐘を寄進、さらに
十七年の歳月をかけて七堂伽藍を建立した。
寺領十石,二万二千余坪の拝領地を有し、塔頭四院を擁し、堂塔の偉容は
品川郷に輪奐の美を誇った。
慶長十九年(千六百十四)八月二十八日、品川の象徴として愛着を受けた
五重塔は台風のため倒壊、哀惜する郷民の意をくみ、寛永十一年(1634)
三代将軍家光により再建されたが、元禄十五年(1702)二月の
大火により類焼し、現在に至っている

紙本着色妙国寺絵図

寛永年中の作で妙国寺境内を中心に周囲の景色や
参詣する人々の様子を描いた寺社参詣図

寺宝

宗祖日蓮大聖人直筆大曼荼羅及び消息文。
開祖日什大正師直筆大曼荼羅。日什大正師
諷誦章及び置文の写し。紺紙金字法華経八巻。
加藤清正公手形。妙国寺古文書。徳川三代
御成之覚書帳等。

墓碑銘の人々

明治・大正期における浪曲界の先駆者、浪花節中興の祖桃中軒雲右衛門。
一刀流の祖で戦国時代の不出世の剣豪 伊藤一刀斎。鳶頭のお祭り佐七。
歌舞伎斬られ与三郎のモデルといわれる長唄の師匠吉村伊三郎。新内
中興の祖 鶴賀新内、歌謡界の音丸。映画俳優 高橋貞二。
漫談師 井口静波 等。

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