抗 議 文
  自然葬に法規制を求める「報告書」を厚生省生活衛生局長に出した「これから
の墓地等の在り方を考える懇談会」(座長:浦川道太郎・早大法学部教授)
   に抗議するとともに、これを記者発表した厚生省の責任を追及する。

   1. 懇談会の報告書には「葬送の自由」の意識の高まりなどといっているが、墓
     に入ることだけが許される画一的な葬法を押しつけてきた明治以来の墓地行政
     への批判と反省がまったくない。懇談会の主要メンバーには10年前、東京都
     霊園問題調査会が「海や山に遺灰をまく葬法は現行法のもとでは禁じられてい
     る」と断定したときの委員もいて厚顔にも違法論者から規制論者へと衣替えし
     ている。「葬送の自由」は市民運動の力ではじめて1991年に確立されたの
     である。
   2. 「葬送の自由をすすめる会」による自然葬の広がりを恐れた厚生省の天下り
      理事長をいただく墓園業界団体、それに寄生するお墓コンサルタント学者ら
      と厚生省の「三者談合」によって懇談会はつくられた。自然葬の法規制によ
      って既得権益を守ると同時に、新しい利権と天下り先を開拓しようとするも
      ので、時代の要請である規制緩和に逆行するものである。
   3.  本会の自然葬は6月末までに200回、375人に上るが、節度をもって
      行っており、トラブルが起きたことは1度もない。報告書はトラブルを防
      ぐために自然葬に法規制が必要だとしているが、これまでにいつ、どこで、
      どれだけのトラブルがあったのか、明確に資料を示してほしい。
   4.  報告書は東京都水源林での自然葬をトラブルの例としているが、これは誤
      りである。
       東京都水道局が水源林での自然葬を承認したのは遺灰をまく場所が広い樹
      海であり、水源林にとってはプラスになりこそすれ何の問題のない。また、
      明治末年の東京市長だった憲政の神様尾崎行雄が都水源林を大切にした伝統
      を守っただけである。イメージが悪くなるなどと水源林周辺市町村から東京
      都に申し入れたのは理不尽ないいがかりにすぎない。背景には、申し入れた
      周辺市町村のうち山梨県の過疎山村などがゴルフ場、スキー場づくりのた
      め都水源林を伐ろうとしたが、本会の遺灰を山に還して森を守る「再生の森」
      構想の提起であきらめたといういきさつがある。
   5.  報告書には霊園墓地開発による自然破壊についてまったくふれていない。
      ゴルフ場と並ぶ自然破壊の元凶であることはだれの目にも明らかである。こ
      れにからむトラブルはいくつもある。法規制するならまずこれから始めるべ
      きである。霊園開発の自然破壊について問題にしていないのは、墓園業界団
      体と厚生省の業官癒着の証明である。

(1998年6月29日)
葬送の自由をすすめる
会長 安田  睦彦
 

抗議文の回答

   1998年6月29日付けの抗議文(葬送の自由をすすめる会 会長安田睦彦氏)
  を受け取りました。以前にも貴会からの質問文をいただきましたが、いずれご理解
  をいただけるものと考え、回答を控えてまいりました。しかし、「これからの墓地
  等の在り方を考える懇談会」(座長浦川道太郎稲田大学教授、以下「報告書」という)
  が公表されても、このような抗議文が出されることはきわめて残念なことであり、
  誤階あるいは無理解を放置することはこれからの葬送に関する議論のためにも好まし
  きなないと考え、懇談会の委員として議論に加わったものとして、私の意見を申し述
  べたいと思います。
  1. 葬送の自由
   今回の報告書は、戦後の墓地埋葬改策の流れから考えても、画期的な意味をもって
  いる、と私は考えています。それは、従来の墓地埋葬改策が墓地の供給や墓地経営の
  存り方に重点を置いてきたのに対し、墓地埋葬問題の多様化とともに、墓地経営の視
  点からだけではなく墓地使用者の権利保護を含めて、多様な問題に対応する姿勢を報
  告書が示していることです。その一つとして、「葬送の自由」に関わる問題がありま
  す。私は、「葬送の自由」を「葬法の自由」や「散骨の自由」と同義に捉えているわ
  けではありまけん。「葬送の自由」とは、自己の死後の葬送について子孫の意思に任
  せるのでなく、自己の意思によって決定しようとする、葬送に関する自己決定権と規
  定するこができると思います。このような自己決定権は、法解釈上は憲法第十三条に
  基づくものという理解も可能ですが、現実には生成途上の「生ける法」としてこれか
  ら具体的な粋組み作りがなされていく必要があると考えています。その具体的な粋組
  みは、葬法や墓地の問題だけに関わるのでなく、葬式の問題、葬式費用の問題など葬
  送一般に関わり、「墓地、埋葬等に関する法律」(以下「墓地埋葬法」という)の粋
  組みを超えた多様な問題も議論されなければならないだろうと思います。「抗議文」
  には、「『葬送の自由』は市民運動の力ではじめて1991年に確立された」とありま
  すが、いかなる「葬送の自由」が確立されたのでしょうか。1991年は貴会によって
  散骨が実地された時期だありますが、貴会はこの実地をもって「葬送の自由」の確立
  と考えているのでしょうか。
  2. 散骨について
   葬法としての散骨を実地する場合、第一次葬としての火葬と第二次葬としての散骨
 (骨粉を撒く)という二つの行為によって実行されることになります。現行の「墓地埋
  葬法」では、第一次葬として土葬(理葬)と火葬が規定されており、第二次葬として
  は理蔵と収蔵、そして改葬について規定していますが、「散骨」は規定されておりま
  せん。許可なく火葬を行うことや墓地以外の場所に埋葬あるいは埋蔵されることが禁
  止されており、この違反に罰則(刑罰)が課せられます。「散骨」については現行法
  に規定がないために、罪刑法定主義の原則からいっても?則規定の適用を受けないと
  いうのが厚生省の現行法の解釈であろうと考えています。今回の法告書の場合は、現
  行法のこのような理解を前?としたというより、より積極的に「葬送の自由」を踏ま
  えて「葬骨の自由」を主張したものと考えています。このような考えは、従来の法の
  粋組みにはなかった考え方であり、葬骨を支持する人々からも積極的な賛同をいただ
  けるものと考えておりました。そして、これからは賛骨が?是か非かというレベルの
  議論ではなく、どのように賛骨を行うのか、より具体的なる-る作りを行うべき段階
  にきていると私は考えております。第六十回の懇談会において、貴会の事然葬(散骨)
  に関するご意見をお聞きしたき、散骨を行うときの「節度」の具体的な内容を公表し、
  多くの国民の理解を得ることは必要不可欠なことであると思うし、またそれが散骨を
  すすめる市民団体としての義務ではないかと考えております
   なお、明治以来「墓に入ることだけが許される画一的な葬法が押しつけられてき
  た」と抗議文のなかにありますが、これは全くの誤解に基づくものであると思います。
  現行法の枠組みの中で、たとえば焼骨を自宅にで保管することが禁じられている訳で
  もありません。つまり、焼骨をお墓に入れることが法律によって強制されている訳で
  はないのです。貴会の散骨は違法ではないという法解釈も、このような理解の上に成
  り立っていると思うのですが、いかがでしょうか、現行法では、遺体や遺骨をお墓に
  入れることを強制しておらず、それは習俗によるもの、という解釈しかできないので
  は内でしょうか。すなわち、第一次葬であれ第二次葬であれ、遺体を埋火葬し、焼骨
  を埋蔵・収蔵する義務(これらの義務をここでは一括して「埋葬義務」という)につ
  いては現行法では明示的には規定されておらず、行政の解釈としても焼骨を自宅で保
  管することは違法ではないとしています(厚生省生活衛生局企画監修『逐条解説 墓
  地埋葬等に関する法律』[第一法規])この「埋葬義務」については、ここで詳細に
  述べることはできませんが、立法論的に検討の余地があり、ヨーロッパの多くの国々
  では第一次葬だけでなく、焼骨を処理する第二次葬の場合も「埋葬義務」はあると考
  えるのが通説になっています。
  3.散骨のルール作り
   散骨のルール作りは、現状においては散骨に賛成する人ばかりではないこと、そし
  て多様な人々との共存を図るためにも必要であると考えています。貴会は、散骨(自
  然葬)を「節度をもって行っており、トラブルが起きたことは一度もない」としなが
  ら、東京都水源林の散骨(自然葬)に対して、周辺市町村から東京都に申し入れた苦
  情を「理不尽ないいがかりにすぎない」と一蹴していることは、理解に苦しむ処です。
  本来、トラブルは価値観の異なる人々の間で起こるのであり、異なる価値観の人々の
  主張を「理不尽ないいがかり」と批判するのは、独善的な態度と言わざるを得ません。
  平成10年2月に実施した「墓地に関する意識調査(以下「意識調査」という)でも、
  水源林への散骨は、全体の86.1%、散骨賛成者の76.8%、散骨希望者の70.
  6%散骨場所は自由に認めるべきであるとする人でも69.1%の人々が不適当であ
  ると回答して居ます。水源地への散骨は多くの人々が反対しているのであり、むしろ
  このような国民の意識に配慮しながら、散骨への理解をすすめていくのが市民運動の
  姿ではないのでしょうか。前にも述べたように、ここでも「節度をもって(自然葬
 [散骨]を)行っている」としても、貴会の「節度」の具体的な内容が問われているの
  では内でしょうか。
   貴会は、本年6月末までに200回、375人の散骨を行ったとしています。どの
  ような場所で、どのような方法で、貴会のいう自然葬を実施しているのか、その具体
  的な内容を広く公表すべきであると思うし(会報で公表していることは承知していま
  すが)、マスコミ等の報道機関にも、抽象的な議論では亡く、具体的な情報を国民に
  提供するような働きかけをし、社会的なルール作りのために議論を展開すべきではな
  いでしょうか
  4.これからの葬送について
   これから本格的な少子・高齢社会が到来するなかで、葬送・墓地等をめぐって多く
  の問題を抱えることに成ります。これまで、葬送・墓地については死者に継承者がい
  ることを前提にし、死者と継承者との関わりのなかで、墓地・葬送に関する法律やそ
  の他の制度がつくられてきました。意識調査では、この枠組みを維持しようとする意
  見がなお一般的ではありますが、現実には維持しようと思っても維持できなくなる状
  況が生まれつつ有り、今後はその傾向に拍車がかかってくると考えられます。ここで
  は、現実的ではなくなってきた法律やその他の制度の見直しが必要なのであり(「墓
  地埋葬法」だけが念頭にある訳ではありませんが)、新しい枠組み=秩序の形成が必
  要とされる、との意見も増えつつありますし、私もそのように考えています。このこ
  とを踏まえて、次の三点を申し添えておきたいと思います。
   第一は、今回の報告書は、「墓地埋葬法」の枠組みなかでの議論でありますが、散
  骨だけを問題にしている訳ではありません。墓地経営に関わる問題(宗教法人の名義
  貸しの禁止や公益信託に基づく墓地経営の問題)、墓地使用権の問題(墓地使用権の
  有期限化や墓地使用権の譲渡性の問題)、無縁墳墓の改葬に関する問題等、葬送や墓
  地をめぐる個別的には重要な問題提示が含まれています。散骨も重要な問題ではあり
  ますが、これからの葬送の在り方を散骨(自然葬)という枠組みだけで考えることは
  できないでしょう。
   第二は、抗議文のなかで展開された批判の在り方です。古い秩序が壊れ、新しい秩
  序を形成しようとするとき、旧来型の権力批判や価値観の押しつけは有効な方法だと
  いえるでしょうか。しかも、現実は進んでいます。平成二年の「墓地に関する世論調
  査」では散骨を葬法として認めてもよいとした人は21.9%でしたが、平成一〇年
  の意識調査では74.6%の人々が葬法として散骨を認めるようになっています。こ
  の変化は、貴会やその他の市民運動の成果であり、貴会のマスコミに対しての働きか
  けがなければ、多くの人々の理解は得られなかったかも知れません。貴会のこれまで
  の運動や努力には敬意を表しますが、貴会もこの理解の深まりを謙虚に受け止め、自
  らの「節度」を明確にして、新しい秩序作りに寄与することが多くの人々の「理解の
  深まり」に応える道ではないでしょうか。

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